佐藤正明 絵画と心



 花と実 「秋」

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 心の言葉

見える、見えない

2004年2月15日の日記

 昨年の秋、近所のTさん宅の垣根に絡んだアケビが、見事な実をつけた。それを見て、ぜひ描きたいという気持ちになった。そこで、頼み込んでスケッチさせてもらったのだが、描いているうちに、二つの実が何となく目のように思えてきた。人面アケビである。それも半眼に見開いた仏像の両眼のように… そして、脳裏に浮かんだのは、「慧眼見真」という言葉だった。今は冬だが、原画アルバムを見直していたら、その時のことが記憶によみがえってきた。

 慧眼見真という言葉は、玉川大学工学部の正面玄関右側の黒い石壁に彫られている。 私は初めその正しい読み方を知らなくて、ある話の折にそれをケイガンと発音した。そしたら、後である老教授が、「あれはエゲンと読むのですよ」とそっと教えてくれた。まだ若輩だったとはいえ、私にとっては汗顔の至りだったことを憶えている。

 では、慧眼とはどんな眼なのか?その四文字の左下に彫ってあった、大無量寿経という出典をたよりに調べてみたところ、目には肉眼、天眼、法眼、慧眼、仏眼の五眼があるのだという。仏教用語である。肉眼とは言うまでもなく、肉体にあるふつうの目だ。ところが、天眼とは普通人には見えない物を見通す、超能力的な神通力のある目であり、法眼とは諸法を観察し、真相を知る菩薩の目、仏眼とは仏が諸法実相を観照する目であるという。そして、慧眼とは差別、迷妄、執着を離れて、真理を洞察する目なのだそうだ。だから、「慧眼見真」(えげんけんしん)と言われる。要するに大無量寿経は、人間には目に見えない物を見る目があること、人間以上の存在である菩薩や仏陀の目もあることを教えており、慧眼とはその一つなのだということである。

 普通に言えば、それは「心の目」のことだと思われる。心の目があるからこそ、人は肉眼には見えない物を見ることができる。いや、それどころか、そもそも物を見るとき、人はほとんど常に心の目でも物事を見る存在なのである。

 例えば、一枚の一万円札を見る。もし肉眼だけで見るとしたら、それは特殊な紙に特殊な印刷が施された物体に過ぎない。だから、猫ならその上に寝そべるとか、その上を平気で歩いたりする。猫に小判ならぬ猫に万札である。しかし、人間なら違う反応をする。ただの紙とは違う万札の価値を知っているからだ。肉眼に見えるのは物理的な万札であるが、同時に、心の目は万札の見えない価値を見て取るのである。

 心の目がなければ、ましてやほんとうのものは見えない。星の王子様の言葉を借りれば、「大切なものは目に見えない」ということになる。しかし、心の目と言っても、よこしまな心や卑しい心の目もあり、見えたもののレベルにもいろいろあるだろう。だとすると、心の目に見えるものならどれも良く、どれも高尚だというわけでもない。また見る者によっても違ってくる。例えば、ある一枚の絵が商品価値はもちろん、芸術的にも無価値な似顔絵であったとしても、それが死んだ愛娘がくれた最後のプレゼントなら、父親にとってはかけがえのないものとして映るだろう。

 してみると、慧眼とは心の目一般ではなく、“大切な物事を洞察する良質な心の目”のことだと言えよう。この「良質な」が鍵なのである。そして、見真の「真」は、単なる真実や知的真理ではなく、仏陀の説いた涅槃やキリストの愛の掟などにある、深い真理のことであろうと思う。

 玉大工学部の左側壁面には、ガリレオの名言が慧眼見真の対をなして彫られている。いわく、「神なき知育は知恵ある悪魔を創る」と。この言葉の双璧は、同大学の創立者が、どれほど自然科学の過信を戒め、知的真理や経済的価値だけでなく、それを超えるもっと深い真理まで求めよ、と諭していたかを証ししている。

 しかし、慧眼がなければ悲しいかな、「神なき知育は…」という言葉も、慧眼見真ということ自体すらも見えないのではなかろうか?超近視の人がコンタクトレンズを無くしたら、コンタクトレンズそのものを見つけられないように… では、自分はどうか?私には慧眼があるか?あけびの実を描いた後、そんなことを思ったものだった。


二つのリンドウ


2005年9月16日の日記

 秋の七草の一つには数えられていないが、リンドウは日本的な情緒のある秋の花だ。かつては日本の野山に自生していた。藤沢市用田(旧御所見村)のわが故郷でも、裏山の一番高い場所に大きな栗の木があって、栗拾いに行くと、その付近の下草に混じって咲く可憐なリンドウを毎年見かけた。

今の東京近辺では、そんな風景はのぞむべくもない。私が描いたリンドウもご他聞に漏れず花屋さんで買ったものだ。それは園芸場で育てられたから、病虫害から守られ栄養をたっぷりもらって、葉は濃緑に密生していた。花はたくさんついていたが、まだ開き切っていないものばかりだった。しかしその群青色は、魂を魅するに足る造化の神秘を湛えていた。

その同じリンドウを私は翌年もう一度描いた。2002年10月14日だった。露地に移植したのが冬の間に枯死せず、春に発芽して成長すると、秋に花までつけたからだ。ただし、それは園芸店で買ったときとは全く違っていた。花は相変わらず美しい群青色だったが、ひょろひょろと伸びた2本の茎にたった2輪咲いただけ。葉は虫に食われたり黄ばんだりしていた。それを見て私は、春からずっと風・虫害・酷暑を乗り越えて来たんだなぁ、とつくづく思った。そして、勝ち組、負け組のことを考えてしまった。

2年目のリンドウはどう見てもみすぼらしく貧弱で、前年の見事さはなかった。まるで没落者のようだった。だから、これも負け組のうちに入るのだろうか?と思ったのだ。負け犬という言葉は昔からあったが、近頃TVなどでそれがよく話題になるのは、どうも若い女性達が結婚できたかし損なったかをこの言葉で騒いだかららしい。しかし、業績が上がっている大企業と倒産に追い込まれる中小企業、IT事業などでのし上がった富豪青年と社会的基盤もないニートの若者なども、勝ち犬、負け犬とか勝ち組、負け組みという分け方をされる。

しかし、社会的な成功には運不運もある。人は必ずしも無知、無謀、無能だから失敗するわけではない。病気、事故、社会の動向、環境の不測の激変など多くの原因によって、優秀だったり善良だったりする人が、社会的な敗者とならざるを得ない場合は少なくない。いや、かつては優秀でも、努力しても、生まれたときから弱者・敗者であることを強いられる者がいた。昔は個人の力ではどうにもできない身分や階級制度が、厳然として存在していたからだ。それは今でも皆無ではない。

そういう人たちは聖書の中にも出てくる。彼らはどんなにもがいても、社会の上層には入れない貧民や罪人たちだった。言わば社会の負け組だった。しかし、イエス様が特に慈しみの目を注がれたのは彼らに対してだった。

「今泣いている人々は、幸いである。あなたがたは笑うようになる。」
「今笑っている人々は、不幸である。あなたがたは悲しみ泣くようになる。」

これは、神の国では今の世での勝ち組と負け組の逆転がありうる、という警告だ。私は虐げられた人々、不運な人々、小さな人々に共感し、どちらかと言えば勝ち誇る人間が嫌いだから、神様のこの公平な裁きを思うと嬉しくなる。

そして、貧弱になったが、けなげに生き抜いたリンドウには囁いてやりたくなる。「君は負け組じゃない。たとえそうだとしても、それが何だ。君には神の国の裁きはないが、一番美しいものは見掛けや豪華さじゃない。一生懸命に生きる姿だ。見る目を持った人間はそれを見ているからね」と。



コスモス


2005年10月21日の日記

秋晴れに誘われて、妻と一緒に横浜市みどり区の寺家にあるふるさと村を訪ねてみたら、水車の傍一面にコスモスが咲き乱れていた。空間に軽く浮いて、わずかな風にも揺らぐような花々だ。メキシコ原産のこの草花はもう日本の風土にすっかりなじみ、秋の風物詩の一つともなっている。秋桜という和名もあるが、むしろこの名の方が知られていないくらいだ。

コスモスとはギリシャ語で、「秩序、良俗、物のあり方、整頓、服装、女性の飾り、宇宙」等、たくさんの意味をもつ言葉だ。しかし、花の名としては、はたしてギリシャ語と関係があるのだろうか。玉川学園では全人教育を真善美聖健富の6価値で成り立つとして、それをコスモスの花に喩えている。イメージとしてはわかりやすい喩えだ。だが、逆にそれで花を説明すると間違えることになる。なぜなら実際のコスモスの花は6弁ではなく、私の知る限りではどれも8弁だからだ。

その名は原産国メキシコの国語であるスペイン語でcosmosと言う。だから英語でもフランス語でもそのままで使われた。してみると、最初はメキシコ女性の派手な原色衣装などから連想して、誰かがギリシャ語の中にある「女性の飾り」という意味をとってつけたのかも知れない。 名の由来はともかくとして、花はピンク、紅、えんじ、白、黄とかなり多彩だ。どちらかと言えば高級感はなく、むしろ庶民的だが、秋の野や路傍や庭などのいたるところに色鮮やかに咲いて目立つ。

しかし、その明るさにもかかわらず、私がコスモスに感じるのは哀愁だ。宙に浮くその花たちをみると、秋の虫たちとともに、尽きる命を暗示する存在のように思えるからだ。重さのないようなその風情は、私には何か愁いを包む命が形をとったように見えてならない。詩編103は語る。「人の生涯は草のよう。野の花のように咲く。風がその上に吹けば消えうせ、生えていた所を知る者もなくなる」(詩編103:15、16)と。

もう51年も前になるが、代々木初台にあったレデンプトール会のジュベナの庭で、秋色が漂うコスモスの前に坐ったときも、私はそんな感覚でこの絵を描いたのだった。見ての通り、その頃の私の画法は今とはまったく違った。人は「何だかモネの絵みたい」と言ってくれる。もちろんお世辞だ。だが、たとえ本当だったとしても、それは私にとってどうでもよい。むしろ、あれから半世紀余り、どれほど多くの草木が生え、花が咲いては散り、どれほど多くの鳥獣や虫が生まれては死んでいったか、私の関心は万物のその生々流転にある。 

人もまたどれほど多くが新しい命として生まれ、どれだけ多くが世を去っていったことか。私の周囲を見回しただけでも、今年ももう何人かがみまかっている。つい先日は、私が母代わりのように親しく思っていた、メイン州のフローレンス・シールが93歳の生涯を終えた。私の先に生まれた人だけでなく、後からの人も時として私より先に旅立っていく。白状すると、私はそういう「死を済ませた」故人たちに一種の羨しさを感じ、敬意を抱く。自分の番が来たら、うろたえ、取り乱さないだろうかと私には自信がないからだ。

コヘレトの7章1節には、「死ぬ日は生まれる日にまさる」とある。そうかも知れない。そうであってほしいと、自分の死の時に自信のない弱虫の私は思う。そして、「神の母、聖マリア、罪人である私たちのために、今も死を迎えるときも祈ってください」と願ってやまない。しかし、聖書といえどもコヘレトの言葉は逆説が多くシニカルだから、この一節も一ひねりしてあると疑って、なぜそう言えるのか一考してみる方が良い。

人は通常誕生を祝うが、思うにそれはどんな苦難の人生になるかもわからない不確定な出発点に過ぎず、実は自分で何も決めることができない、100%受身の出来事なのだ。人は自分の出生に対しては選択権も決定権もない。だからこそ、時々「なぜ生んでくれた」と親を責める子も出てくる。ところが、それに比べ死に対しては、たとえそれが不幸や極限の苦痛を伴い、しばしば意識がない状態であろうとも、前もって死を覚悟して受け入れるか、あるいは拒否して抵抗するかの意志決定はできる。自分自身が知って態度を決められる死ぬ日は、自分自身が何も知らないまま存在させられる出生の日よりはましだ。コヘレトはそう言っているのではなかろうか。

ならば出来うる限り良く生き、それ以上は自分もいつか先人たちのように、良い「死を済ませた」人の数に入れるに違いないと信じて、祈って待つしかあるまい。尽きる命を暗示して、愁いを包む存在のように風に揺れるコスモスは、私にそんなことどもを思い巡らさせる秋の花だ。





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