佐藤正明 絵画と心



 あれこれシリーズ

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 心の言葉

水清からざれば…

2003年8月27日の日記 

マスとカマスの絵にお出ましを願ったのは語呂遊びのためではなく、「水清ければ魚棲まず」という諺を検証するためだ。この諺は、後漢の名将班超が西域の総督を辞したあと、後任者の求めに応じて話してやった統治者の心得の中に、喩えとして出てくるのだそうだ。私は長い間それを、「魚は水が澄んでいると棲まないものだ」と解釈していたが、本当は、「水が澄んでいると隠れるところがないから、大魚は棲まない」という意味なのだそうだ。

しかし、私と同じように解釈している人も少なくないのではなかろうか。いずれにせよ、「水と同様に、人も清廉すぎたり賢すぎたりすると、人々に敬遠され友もいなくなる」という意味で、結論的には同じになる。

班超の言おうとした忠告は妥当だったと思う。しかし、諺となったこの比喩は妥当だろうか? 思うに一番の問題点は、清いこと自体がよくない、という誤解を生みやすいことにあるのではなかろうか。つまり、「だから人は清流のようであってはいけない。ある程度汚れている方がいい。清濁合わせ呑むぐらいじゃないとダメだ」などという考え方が、世の中ではまともなのだとされてしまうことだ。それは聖性とか清廉を小ばかにする処世観につながり、口利き、袖の下、ごまかしを容認する「なあなあ文化」に堕しやすい。むしろ、この諺はそれを正当化するために使われることの方が多い、とさえ言えよう。政治家には必要だろうが、普通人には品性下劣化の言い訳にしか役に立たない。それに、この比喩自体が適切ではないと思う。

「では逆に、水が汚濁していれば魚は棲むか?」と言えば、事実は必ずしもそうではないからだ。掲載したマスとカマスの絵は、私がカナダにいた時スケッチしたものだが、この魚達がその一例になると思う。このHPにある絵「カナダの四季」に掲載してあるポワソンブランは大きな湖で、周辺には小さな湖が散在していた。湖畔には夏の家があり、夏休みのとき私はよく釣りに行った。 そんな湖の一つにモード湖があったが、それはややメタンガスの匂いがする水の濁った湖だった。そこには川カマス(パイク。仏語ではブロシェ)が棲んでいたが、清い水の好きなマスは皆無だった。ところが、澄んだラトゥルイット湖には反対にカマスは皆無で、虹鱒がいっぱいいた。そして、湖に流れ込む清冽な渓流には岩魚(イワナ)が棲んでいた。だから、私たちは使い分けて、カマスを釣りたければモード湖に、マスを釣りたければラトゥルイット湖に、そして岩魚を釣りたければ渓流に行ったものだ。

賢明な読者はもうお分かりだと思う。魚は濁った水にも澄んだ水にも、それぞれの性質に応じて棲み分ける。水が清ければ棲まないということはなく、濁っていれば好んで棲むわけでもない。隠れ場所を必要とするのは小魚たちであって、むしろ大魚は水が清くて隠れる所がなくても悠々としている。

逆に、濁り過ぎたり汚染されたりした水にはどんな魚も棲まない。例えば、高度経済成長時代、ドブ川と化した東京の神田川。ぼうふらも湧かないと言われたその汚濁した水からは、魚が全く姿を消した。しかし、近年は浄化に努めたおかげか自然が蘇り、魚も何種類か戻ってきているそうだ。

してみると、「水清ければ…」の諺は適切だとは言えない。むしろ「水清からざれば魚棲まず」と言い換えた方がいいくらいだ。格言と同じく、諺もまたよく吟味しないと危うい。



頭の体操

2004年7月12日の日記

 ふだんは何気なく使っているが、日本語の「有る(在る)」と「無い」が非常に珍しい語法だということを、日本人はどれほど意識しているのだろうか?たぶん頭の体操にもなると思うので、ちょっとそれに触れてみる。

 「ある」は動詞だが、「ない」は形容詞だ。もうここからして外国語とは違う。と言っても私のわかる外国語の範囲内で比較するのだが、「ある」は英語では There is、仏語ではIl y a、スペイン語ではHayなどと表現する。もちろん仏語のse trouver、スペイン語のencontrarse なども「ある」を表わすが、ことを複雑にしないため、ここでは前述のThere is、Il y a、Hayに限定して比較してみよう。肯定形では、他の言語もかなりユニークな表現である。して見ると、日本語の「ある」だけが特別だとは言えないかも知れない。

 ところが、否定形の「ない」になると実に独特なのである。英、仏、西、独や古代語のラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語などでも同様だが、否定形は動詞の肯定形に否定の副詞not, ne~pas, no ,nichtなどを加えて、例えば、There is not, Il n’y a pas, No hayのように表現する。しかし、日本語では、「ある」の否定形は「ある」に否定の形容詞の「ない」を加えた「あらない」でも「あない」でもなく、ただ「ない」だけである。もっとも、「あらず」「ありません」という否定表現はあるが、ここでは「ない」だけに限定したい。

 日本語でも否定はふつう、「読まない」「食べない」「見ない」「しない」「赤くない」のように、動詞とか形容詞とかの未然形に「ない」をつけて表現する。ところが、「ある」だけは、その否定が単に「ない」だけで済む。つまり、日本語では存在とその反対を、「ある」と「ない」というまったく別の言葉で表すわけである。いったいこれはどういう考え方から生まれた語法なのであろうか?

 私はまだ最終解答を見つけてはいない。しかし、少なくとも次のことは言えるのではなかろうか。「ある」の否定が「ない」一語だけであるということは、他の動詞や形容詞の否定とはまったく違う否定だからであること、「ない」が「ある」とはまったく相容れない、対極の何かを表そうとしているからであることである。それは名詞にしてみるとよりはっきりする。「ある」を名詞化すると「有または存在」となり、「ない」は「無」となる。有と無。

 ところが、それは二つとも一筋縄ではいかない概念なのである。例えば、ここに本が有る。では、本が有ることを証明してみよ、と言われても、それはことほど左様に容易ではない。最終的には「有るから有る」としか言えない難題である。他の証明は有るという事実を梃子になされるが、有るを有るで証明することは、身分を証明する物を何も持っていないとき、「お前が佐藤正明であることを証明せよ」と言われても、本人がそうだと言っているのだから本人に間違いない、と主張するようなものだからである。

 無はもっと難しい。なぜなら、「無がある」と言えば、無は一種の「有」になり、無ではなくなる。では「無はない」と言えばどうか?無を否定するのだから無はなくなり、「有」だけになる。要するに無という概念を考えると人は当惑させられる。無とは、考えられるけれども言葉では述べ難い、存在のネガティヴなレアリティのようにしか表せないからだ。この困難さは人間知性の限界に起因しているのであろう。そもそも無は無なのに、人間はそれをあたかも何かであるかのごとく、虚構的に扱わなければ思考できないからである。

 さて、ここまで来ると頭が変になりそうだという人が出るかも知れない。そこで私はニヤリとする。それでこそ頭の体操だ!と。ならばもうちょっとつき合ってもらおう。
 無と向き合わざるを得ないものに宇宙の存在がある。宇宙進化論によれば大宇宙の出現は約150億年前だとか。ではその前はどうだったかと問うと、無だったと言う。その点では聖書の天地創造説と一致する。神は無から天地万物を創造されたとあるからだ。無はラテン語ではNihilと言う。だから、天地創造を神学者はCreatio ex nihilo(無からの創造)と定義する。この場合、宇宙は無だったが、全能の神は存在する。天地創造は神の力による「無から有」への生成だから、信じる信じないは別として、納得がいくと思う。ところが、無神論的宇宙論者は宇宙が無からひとりでに出現したと言う。えっ?神も存在せず、全くの無だった無から有なる宇宙が出現する?無とは何らの実体もなく、存在ですらないのに?出現した後の宇宙の生成や現状についてなら異論はないが、出現が無からだという説明はどれほどの説得力があるだろうか。それは、底なし沼に落ちた人が自分の髪の毛をつかんで、自分を沼から引き出そうとするのに似ていると思う。

 そこで頭の体操のための問いで終わりにしよう。「ひとりでに」とはどういうこと?そして、もし宇宙がひとりでに無から出現したのならば、私の空っぽの財布からも、1億円がひとりでに出現することを期待してもよいものだろうか?と。



気のせい


2004年4月15日の日記

 四月も半ば、今年の桜前線は今どのあたりに到達しているのだろうか?東京近辺で桜が満開に近づいた頃、ふと歌にある桜の匂いが気になった。あのさくら、さくらの歌には「霞みか雲か匂いぞいずる」とある。カナダにいたとき、私が友人のR・トランブレーと訳したフランス語版では、「匂いぞいずる」を "paysage parfumé" とし、次のような歌詞にした。

Cerisier, cerisier, dans le ciel de l’avril,
aussi loin que volent mes yeux,
est-ce un voile de nuée? Paysage parfumé!
Accourons, accourons, accourons à contempler.
(Traduit par J..M.Sato et R.Tremblay) 

「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」という和歌にも桜が匂うとある。しかし、はたして桜はそれほどに匂う花だったのだろうか?

疑問が湧いたら確かめるに限る。というわけで、さっそく近くの公園へ実証に出かけた。山桜が一本あるからである。斜面に垂れた枝を引き寄せて嗅いでみると、何のことはない、匂いはほとんどなかった。染井吉野は恩田川沿いまで確かめに行ったが、これもほとんど香りなしだった。

では、「匂いぞいずる」も「朝日に匂う」も事実とは違うことを歌っていることになるのだろうか?嘘ではないにしても、桜が匂うなどということは気のせいにすぎないのであろうか?

しかし、桜の風景を見ていると、やはり匂う気がすることは否めない。嗅覚には匂わなくても目に匂う気がする。そして思った。気のせいかも知れないが、ならば気のせいでいいではないか。人は鼻だけで匂いを嗅ぐのではない。目でも嗅ぎ、気でも嗅ぐ。それだから人間なのだ、と。

だから、 “paysage parfumé”(香りいっぱいの風景)というのがありうるのである。むしろ、風景には香りがあり、音があり、気温がある。桜の匂いは鼻をつけて嗅ぐものではなく、目で一望して嗅ぎ、気持ちで嗅ぐ匂いなのだと、実証から帰りながら納得した。いい意味の「気のせい」もあるのである。

そのことから、かなり前だが、陶セラピーのインターネットサイトで、土は無臭だと主張した男のことを思い出した。土に匂いが無いというのは嗅覚が鈍感だからだと思うが、そうでないとしても土の匂いはやはり多分に目で嗅ぎ、気持ちで嗅ぐ種類のものだと思う。桜の匂いとも共通しているフィーリングである。そうでなければセラピー(癒し)にはなるまい。

花は鼻には匂わなかったが、目には匂った。疑問を解決してからはや一週間あまり、桜の花はすでに散ってなく、桜前線はどのあたりだろうかと想像する私の前に、今は枝を彩るやわらかい緑と小豆色の若葉が、春の光の中で匂っている。



花を語り、花にささやく デンファレ


2005年1月29日の日記

 以前の私は、ラン科の蘭についてはカトレアと胡蝶蘭ぐらいしか知らなかった。あまり好きではなかったから興味がなく、興味がなかったから知ろうともしなかった。好きでなかった理由は他愛もないものだった。私は豪華すぎる花、媚びているような花、しつこい感じの花はあまり好まない。ところで、ランはそんな印象を与え、肉厚な花は厚化粧をしているように見えた。だから好きになれなかったのだった。

それはある解説のせいもあった。ランは植物の中で種類が最も多く、約15000種を数えるが、そうなったわけは種間交配が盛んだからで、いわばふしだらな植物なのだ、とそれには書いてあった。それが私にいやな花だな、と思わせていたのだと思う。一つの偏見だった。 

それなのに、なぜこのランに限ってスケッチしたのかと言うと、いきさつがあったからだ。2000年の9月だったが、何を思ったか妻が私の誕生日に、ガーベラと桔梗とこのランのブーケをプレゼントとしてくれたのだ。一瞬、えっ、花を?とは思ったが、ちょうどその年の夏に、私は何年かぶりで風景や花のスケッチを再開したところだった。そこで、せっかくの画材ではないか、これも何かのご縁だと思って、水彩鉛筆で描いてみたわけなのだ。ガーベラや桔梗は知っていたが、ランの名前はその時はまだ知らず、デンファレだとわかったのは少し経ってからだった。

ところが描いてみたら、一番面白かったのはそのデンファレだった。とは言え、興味深かったのは花でも茎でもなかった。花はもちろん美しかったが、とりたてて抜群というわけでもなかったし、どちらかと言えばやはり厚化粧の感じがあった。ところが、つぼみは実にユニークだと思った。まるでバレリーナのバレーシューズのような形状をしていたからだ。それも、バレリーナが背を伸ばしてツツツツッと前進したり、ピルエットしたりするときの足の形にそっくりではないか。「へー、花になる前はこんな姿をしているんだ」と私は目をみはった。小さな発見だった。今でもこの蕾のバレーシューズを見ると、跳躍する踊り子の幻影を、画面の空白に思い描いてみたりする。

ところで、踊りのあるところには歌もある。そこで私は脳裏に閃いたフランス語の次の一句を、このデンファレの絵に引き合わせた。 “Tant chanterai que mon coeur fleurira.”「歌いに歌おう、心が花を咲かすほど。」こんなふうに訳すと感じが出せる一句だ。

クリスマスの頃、その絵のコピーをカナダの一友人に送った。すると返事が来て、「こんなすばらしい表現を、私は今まで知らなかった」と、この一句のことで喜び驚いていた。彼女は詩人で、若い時カナダに移住した生粋のフランス女性だが、返事には「いつどこでその言葉を学んだのか?」という質問もあった。残念ながら私は、覚えてないとしか答えられなかった。実際、そうだったからだ。

しかし今、あえてその「いつどこで」を突き止めるとすれば、思い当たるのはポワソンブラン湖で過ごした1961年の夏休みだ。エルマーの大神学院では毎年Escale(寄港)という記念文集を夏休み中に作る慣例があった。タイプ打ちの原稿を綴じて、立派な革表紙の一冊に製本して仕上げるのだが、印刷しないから、世界にたった一冊の写真・絵入り記念文集だった。ところで、その年は私が編集責任者だった。何人かの編集作業仲間がいたが、その中に博識・才能抜群のRoland Tremblayがいた。さくら、さくらの歌を私と共同でフランス語訳してくれた神学生だ。 “Tant chanterai…”の一句も、おそらく編集の仕事を一緒にしながら、何かの折に彼から教わったのだと思う。誰かの詩の一行ではなかろうか。

ともあれ、この一句を絵に引き合わせて私は思った、出会いは人ばかりではないんだ、そして、この取り合わせは必ずしも偶然ではなかった、と。なぜ?フランス語のこの一句がいつ生まれたのかは不明だが、それが長い間存在し続けてきたことは確かだ。他方、デンファレは花屋で売られ、一週間もすれば萎れるさだめにあった。ところが妻に買われ、私の手によって萎れもせず散りもしない絵に変容した。そして、永久に交わらない可能性もあったのに、私の記憶に宿っていた一句と2000年の時点で出会い、朗らかな雰囲気を醸す新しい存在となったからだ。想定にはなかった出会いの不思議と必然がそこにある。

絵と一句を代弁して締めくくると、もしも誰かがこの絵のファンタジーを知って少し癒され、この言葉を口ずさんで少し元気をもらえるなら、両者には望外の「在り甲斐」となるに違いない。私はと言えば、この体験のおかげでランの知識がいくらか増え、偏見はどこかに消えた。

 



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